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川内優輝はなぜMGCを回避したのか?マラソン川内選手の過去の挫折

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東京オリンピック”TOKYO2020”まで一年を切った。
各競技で代表内定者が続々と決まっていってる中、2019年9月15日(日)にはマラソンの日本代表を決める”MGC”マラソングランドチャンピオンシップが行われる。MGCとはマラソンの代表を”一発勝負”で決める代表選考レースである。好成績を収め選ばれしものだけが参加できる、まさに日本のトップを争う注目のレースなのだが、その参加資格を手にしているにもかかわらず”参加拒否”したランナーがいる。

そのランナーこそ川内優輝(かわうちゆうき)である。

管理人/太郎
管理人/太郎

川内優輝選手。皆さんはご存知ですか?

愛猫バコ
愛猫バコ

うん、聞いたことはあるかも…”公務員ランナー”の人かニャ?


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”公務員ランナー”川内優輝とは?

川内選手がマラソン界で注目を浴びたのは、2時間8分37秒という好記録で”日本人トップの3位”に入った2011年の東京マラソンからだろう。実業団には所属せず”いち市民ランナー”として他の実業団選手を差し置いての日本人トップだった。
彼は埼玉県立春日部高校の臨時職員として12時30分から21時30分まで定時制の事務員として働き、午前中はジョギング等の練習にあて、休日は負荷のかかるトレーニングを近くの公園でする。もちろんたった一人でだ。限られた時間の中での練習ではやはり練習時間が足りず、例えば実業団の選手は一か月で約1000㎞走るのだが、川内選手は約500㎞。この少ない練習量を補うために毎週のように日本各地で開催されるレースに積極的に参加し、まさに”実戦練習”をしていた。普通実業団の選手は多くても年間3レース(フルマラソン)ほどだが、彼は年間10以上のレースに参加し、それに事足らず有休を使いながら海外のレースにまで参加していた。実業団選手では考えられない、独特すぎる練習方法だった。
公務員”という肩書きを持ち、実業団のエリート選手への対抗心を全面に打ち出し、数多くのレースで実績を積んでいく川内選手はすぐに多くのメディアに取り上げられ、そのユニークなキャラクターも相まって一気にマラソン界で時の人になっていった。

管理人/太郎
管理人/太郎

市民ランナーの星”とか言われて体力の限界まで走りぬく姿は印象的だね

愛猫バコ
愛猫バコ

ゴールした後は必ず倒れこむんだよニャ~

市民ランナーからプロランナーに転向した理由とは?

市民ランナーとして日本で数多くの実績を積んでいくと同時に、世界大会の日本代表としても活躍の幅を広げていった。主な戦績を上げていくと…

日本での主な戦績
● 2012年防府読売マラソン優勝
● 2013年別府大分毎日マラソン優勝
● 2014年防府読売マラソン優勝
● 2017年防府読売マラソン優勝
● 2018年防府読売マラソン優勝
世界大会での主な戦績
● 2011年世界陸上テグ大会17位
● 2013年世界陸上モスクワ大会18位
● 2014年仁川アジア競技大会銅メダル
● 2017年世界陸上ロンドン大会9位
● 2018年ボストンマラソン優勝

2012年ロンドン五輪と2016年リオ五輪の2度のオリンピックには選ばれることはなかったのだが、2018年のボストンマラソンの優勝はかなりの偉業といえる。世界的に歴史のあるボストンマラソンで極寒の中、名のある海外の有力選手を抑えての優勝。日本人の優勝は1987年の瀬古選手以来31年ぶりの快挙だった。

市民ランナーとして実績もある彼がプロ転向を意識したきっかけがある。
いち早くプロとしてマラソン競技に取り組んでいた川内選手の弟が2017年の福岡国際マラソンで大幅に自己ベストを更新したのだ。かねてから自己ベストの伸びに悩んでいた川内選手はそれに感化され、プロ転向を意識するようになる。そして迎えた2018年のボストンマラソンの優勝。手ごたえを感じプロ転向を決意したのだ。

管理人/太郎
管理人/太郎

ボストンマラソンの優勝で名実ともに日本の、そして世界のトップランナーになったことが大きな”きっかけ”になったんだろうな。。。

愛猫バコ
愛猫バコ

世界の有名な大会で優勝すると招待選手としていろんな大会に呼ばれるしスポンサーも付いてくれるからプロとしてやれるんだろうね~♬

プロランナー川内優輝選手がMGCを回避した理由は?

MGC/マラソングランドチャンピオンシップ

2019年3月いっぱいで公務員を退職し、4月1日から「あいおいニッセイ同和損害保険」とプロ契約を済ませた川内選手はデンソー陸上部にかつて所属していた水口侑子さんと5月に結婚。
家庭をもうけプロランナーとしてMGC/マラソングランドチャンピオンシップに向けて練習していくんだろうなと思われていた矢先、なんと”MGCを回避する”と宣言したのだ。

川内選手いわく「五輪は みんなが目指していて、価値のある素晴らしい大会だと思う。ですが五輪、五輪と言って、五輪が終わったら競技を辞めてしまうのは寂しい。マラソンは五輪以外にも世界中にレースがある」 「私にとって、人生そのものが走るということ。死ぬまで続けていきたい。走っていなければ、私の人生はつまらないものになっていた。感謝してもしきれないほど、大好きなスポーツ」

多くの”競技者”にとって”オリンピック”というものは一つの大きな目標であり、オリンピックのために小さいころから努力してきた者も多くいると思う。しかし川内選手にとってはそうではなく、”走り続けること”が目標なのだ。もちろん競技者として結果を求め自己の記録を更新していくという側面はあるが、彼にとってオリンピックはオリンピックを目指す者が行くべき場所だということだろう。
川内選手がこういう考えに至ったのは”過去の挫折”が大きくかかわっていると思う。

管理人/太郎
管理人/太郎

「競技者すべてがオリンピックを目指さなければならない」なんて決まってないからね。。。色んな考えがあってしかるべきだから。

愛猫バコ
愛猫バコ

でもでも理由が知りたいニャ。。。

川内選手の「過去の挫折」と「走ることへの思い」とは?

小さい頃から走ることが好きで、たまたま出た大会で好成績をおさめ毎日練習するようになった。
しかし高校時代に大きな挫折があったと川内選手は語る。
陸上部に入って毎日猛練習を積んでいた高校時代。無理がたたって度重なる怪我で走ることも練習することもほとんどできなかったという。
周りから「お前また怪我かよ」と言われ走りたくても走れない。無理に走ってまた怪我をする。その時の怪我の悪循環とやり切れない思いが今の川内選手を形成したのだろう。

大学は陸上の名門ではなく楽しく陸上ができるところへ行こうと当時、箱根駅伝に出場することのなかった学習院大学に行くことになる。高負荷の練習は週二回、あとはジョグ程度の練習のみ。ようやく怪我の悪循環から解放され、4年間を楽しく過ごせた。
高校時代は監督任せの受け身の練習、しかし大学に入ってからは自分で練習メニューを作成し怪我もなく、かつ記録も上がって大学4年時には学連選抜のメンバーとして箱根も走ることができた。陸上を本気で始めて10数年ようやく自分のやりたかった陸上スタイルに巡り会えたのだ

おそらくこの時に箱根駅伝常連校の【エリート選手に対する対抗心】や【独自の練習でもやれるんだという自信】が身についたのだと思う。そして後の”市民ランナー”としてのスタイルとなっていったんだろう。

走りたくても走れなかった高校時代の挫折が川内選手の”根底”にあって、注目を浴びる「オリンピックの一時の喜び」ではなく、「生涯ランナーとして走れる喜び」を彼は追い求めているのだろう。川内選手は1987年生まれで現在32歳。少なくともあと50年はランナーとして体力の限り走り続けることだろう。


「私にとって、人生そのものが走るということ。死ぬまで続けていきたい。走っていなければ、私の人生はつまらないものになっていた。感謝してもしきれないほど、大好きなスポーツ」


管理人/太郎
管理人/太郎

川内選手はすでに今秋の世界陸上ドーハ大会の代表に内定してるんだよ!プロランナーとして最初の大きなレース!楽しみだね~♬

愛猫バコ
愛猫バコ

川内選手の”人となり”が分かるともっと応援したくなるね!それにしても太郎さんは陸上が好きなんだニャ~w


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コメント

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